Wednesday, May 2, 2012

エチオピアの難民:4月19日


この日、職場から目と鼻の先の我ムジンバの警察署に、エチオピアの難民が135名送られてきました。次の日自動二輪免許切り替えのため首都に上がる準備をしていた夜に、家主のおばちゃんが我が家に来て教えてくれました。

ここから30キロ離れたLuwawa Forest()で難民が見つかり、とりあえず管内の警察署に連れてこられたあと調べを受け、南部マラウィにあるDowaという街の難民キャンプに連れて行かれるそうです。家主のおばちゃんは、所属教会でその話を聞き、彼らのご飯(トウモロコシのそばがきみたいなSimaと煮豆)を作り、警察署にもっていきました。

皆暫くお風呂に入っていないのでとても臭かったそうです。そして、とても疲れていたらしく、ブランケット・マットレスがない地べたに横になっていたそうです。そして、喉が乾き、お腹がすいた彼らは、教会のメンバーのご飯にとても感謝していたそうです。ちなみに、135名のうちの1名は、病院に運ばれ酸素吸入が行われているとのこと。

そんな中、警察官は「おめーらあっちに座れ!」などと乱暴な言葉で彼らを捲し立てていたらしい。

「彼らに必要なことは、保護されることであって、怒鳴られることではない」ママはため息混じりに話しました。



私、この話を聞いて、「そういえば私はアフリカ大陸にきたんだ!」と、思い出しました。普段の生活は段々自分の中で当たり前のものになっていて、「アフリカ」という場所ではなく「2年間自分が住む空間と人々」という認識になっていたから。

どこかの国に紛争が起きていて、100名を超す集団が自分の国から逃げないといけない状況。そして、彼らを国境を越えて離れた土地に運び出す斡旋業者がいる(だろうと予想する)現実。私が住むマラウィは平和だけど、一方で命からがら逃げてきた沢山の人が同じ大陸にいる。



この姿が、私がアフリカに足を踏み入れた最初の第一歩だったはず。

飢餓に苦しんで数え切れないくらいの人々が飢えて死んでいった90年代初頭のエチオピアやソマリア。民族の違いで隣人に頭を割られて死んでいったルワンダの人びと。



争いの経緯は時代と共に変化しても、社会の底辺にいる弱者たち、すなわち「ふつうの人びと」が社会のひずみに追いやられて命の危険と隣合せな状況。今も昔も変わらないはずなのに、この4ヶ月間、肌で感じることが全然なかった。

私、マラウィで平和ボケしていたのかもしれない。

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