Wednesday, July 24, 2013

7月15日、Dzaleka難民キャンプ訪問

 
先日、7月15日に、協力隊員のみんな及びJICAスタッフ一名と、Dzaleka難民キャンプに遊びに行ってきました。
 
 
首都から45キロのキャンプ訪問は、実は3回目なのです、私。結構行ってます。
 
今回はJICAスタッフYさんが車を出してくれる&フランス語の通訳をしてくれる、とのことで、あやかってしまいました(((o(*゚▽゚*)o)))

ちなみに、5人で訪問しましたが、3歳年下のPちゃん以外、皆さん同学年なんです。
昭和58&59年生まれっていう、今年度30歳になる、微妙なお年頃(笑)
 
 
そうそう、この難民キャンプ、みなさんが想像しているようなキャンプではありません。
キャンプ・・・というより、ひとつの街が出来上がっています。
 
 
特に、入口の看板や境界線はなく、メインロード、M1から曲がって20キロ位進むと、なんとなく集落が広がっており、それがキャンプです。
でも、よ~く見てみると、UNHCRの旗だったりユニセフの学校(?)があったり、実は難民キャンプです。
 
 
キャンプには、同行したGちゃんの任地Emfeniよりもたくさんの設備があり、街として充実しています。(ネットカフェ、床屋、レストラン、売っている野菜のバリエーション、など)

 
また、街を歩いていると、いろんな国から流れてきた難民の皆さんが普通に生活しています。
だから、「ボンジュール♫」ってたまに話しかけられて不思議な感覚です。
 
私が知っている限り、難民の皆さんは、スーダン、ブルンジ、ジブチ、ソマリア、コンゴ、などから来ている模様。だから、パッと見ただけで、顔がマラウィ人とは全然違う人たちがたくさんいます。
 
この日は、Yさんの通訳のもと、道端で知り合ったフランス語を話す男性(確かブルンジ出身)にいろいろ案内してもらいました。

 

これは、難民の住む家です。基本的に、マラウィ人の家とあんまり変わりません。
番号と?マークは、この家がそのうち撤去されて、その場所に新しいヘルスセンターが出来ますよっていう印。さすがにUNHCRがガッツリ入り込んでいるから、こういった管理は「一応は」出来ている様子です。



これは、小学校の外観。下手に田舎の学校よりも、全然しっかりした建物。
マラウィの村の学校は、もっとボロボロ。逆差別の域ですよ、これは(ーー;)



机と椅子もきちんとそろってるしね!
私がDAPPの友人と訪問してる村には、このように綺麗な机と椅子は潤沢にありません。


よく考えれば、そうだよね~。ここを訪問する前に訪れたEmfeniでは電気も水もないから、上の写真のようにテレビっていう娯楽があるだなんて・・・まぁ!恵まれていること!
ちなみに、国連の寄付だって。
この日はプロレスみたいな格闘技を放送してました。観ている人が全員男性です。


これは、新しい難民がとりあえず収容される、シェルター。10ヶ月前に訪れた時とは変わって、半分崩れています。
最後に新しい難民を受け入れたのは、1年前とのこと。私がこのシェルターを訪れたときにいた難民の後には誰も入ってきていないみたい。
ホントかどうだか知らないけどあながち嘘ではないらしい。

とある記事によると、大統領Joyce Bandaが、このキャンプを締めようとしているみたい。
難民のみんながビジネスを牛耳って、マラウィ人の雇用に悪影響が出ているから、とのこと。

う~ん、この国の問題解決のアプローチはいつも間違ったベクトルを向いている気がする(^_^;)
自分たちより優れた人が入ってきたら、技術や知識を盗んでやろう、くらいの意気込みが欲しいなぁ。マラウィ人、ヘラヘラ笑って傍観するか、僻み根性で邪魔するか、のどちらかなんですもの・・・。

だから、発展しないままなんだと思います。


 
新しい難民用シェルターですが、ここにまだ住んでいる人がいて、煮炊きなども行えます。


お気楽な日本人グループ☆彡




これは、結婚式の写真。
キャンプがコミュニティとして成立しているので、できちゃう行為ですね。
何故かマラウィ式結婚式です。この車の中に花嫁花婿が乗ってます。会場に向かうところかな!

 
躍動感溢れるロバ車の写真。後方から勢いよく走ってくるロバが怖くて逃げたはずなのに、Kくん曰く、「ロバの走る方向と同じ方向に逃げた」ため(アホですね)、リアリティ満点の一枚になりました♫
 




これは、お昼ご飯を食べた、ソマリア人経営のレストラン。
驚きなのが、電子レンジがあること。マラウィでは、一般的な家庭で電子レンジは買えません。
私の家主のようにお金持ちでないと、所有できません。
(しかし、その電子レンジ、私が1ヶ月以上借りっぱなしです(笑))


でも、ここでは、電子レンジが「あることが普通」ってな感じで置いてありました。
ためしに肉団子を食べ歩きしようと思い、一つ頼むと、電子レンジで加熱してから渡してくれました。
暖かい食べ物をTake Awayでもらえるって感覚は、1月の日本への一時帰国以来マヒしていたので、一瞬びっくりしました。
マラウィ人も、ただ僻んでばかりいないで、こういうところに転がってることを学びの機会とすればいいのに。なんだか、本当にもったいないな~。


さて、お昼ご飯はこんな感じ!
サモサ、チャパティ、肉団子、チャイ(メチャ甘いミルクティー)。そして、サラダとデザートのバナナをサービスしてくれました( ´ ▽ ` )
チャイが本当に美味しかった!スパイスとか入っていないのに、何故かとても美味しかった・・・!
ちなみに、お値段は300Kwacha(約100円)。ほかのマラウィ人経営のレストランに比べて、安すぎなくらいです。きっと、ご主人の計算間違いのおかげです、ごちそうさまでした。

*****
・・・と、一見、マラウィ人と変わらず、いやむしろ、マラウィ人より恵まれた生活をしている難民の皆さん。としめくくりたいところですが、そうはいきませんでした。

キャンプを訪問した次の日である7月16日、バスで任地に戻る時でした。隣に座ったマラウィ人のおじさんが英語が達者だったので、二人でぺちゃくちゃおしゃべりをしていたときのこと。

あたし、昨日Dzaleka Camp行ったんだよね~。って話をしました。
ら、とっても切ないことを聞いてしまいました。

そのおじさんも一度、Dzaleka Campに行ったことがあるそうです。
深夜11時頃、皆が寝静まった頃に、車で到着すると、エンジン音に反応した難民たちが「何が起こったのだ?!!!」と警戒して、皆さん家から飛び出してきたそうです。

「あの人たちは、危険と隣あわせの戦争の状況が肌身に染み付いているんだね~」
と平和な国、Warm Heart of Africaのマラウィ人のおじさんは言いました。


パッと見、そこそこ楽しそうに暮らしていると見受けられる難民たち。
心の底には、生きるか死ぬかの瀬戸際を体験した時の傷が深く刻まれていることでしょう。

話してくれたおじさんの、のほほん具合と対照的すぎて、切ない。

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