Wednesday, July 24, 2013

超絶な格差


 昨日という一日は、いつもに増して教育の大切さについて考えさせられました。

例によって(えっへん!)、15キロ離れた村にDAPP皆さんと一緒に行き、ナプキン普及活動を行ってきました。
12時過ぎに出発し、2時前に到着し、2時から一時間識字教育をDAPPのメンバーが行い、3時から4時まで私がナプキン講座を行うのがここ最近の流れになってきました。
上の写真は、昨日いった村とは別の場所ですが、このようにして細々と授業が行われています。

授業の内容は、本当に基礎的なものです。
*こんにちは、などのあいさつ
*あなたの名前はなんですか
*どこからきましたか
程度のもの。

でも、村人たちは、いくらノートに書き写しても次の週に私たちが訪問した時には忘れてしまっている人が多勢です。昨日の授業も例外ではありませんでした。

何度も何度も「Good afternoon」「How are you? I am fine.」の綴りと挨拶を教えても一見変化がほぼ見られない生徒さん(主におばちゃまたち)に、Kちゃんは、がっくりへんこんでいました。
私がここにいる意義は一体何だっていうのさ、と考えてしまったそうです。

生徒さんの理解度は、クラスや先生によって変わってきますが、私がたまにお邪魔している街の中心地にあるクラスの生徒さんは、政府支給の教科書があるおかげか、もともとの基礎力があるからなのか、もうちょっと高度なことを学んでいます。

私も彼女の立場だったら、何度も同じことを繰り返すだけのクラスにモチベーションが失われてしまうだろうな。
今日から明日オフィスの同僚と話す機会があったら、彼らの理解度の低さの理由を聞いてみようと思う。

ちなみに、同じような障害にぶつかった人が言い始めたのか、単なる偏見が生み出したのかはわからないけど、こんな話を聞きました。
白人と黄色人種よりも、黒人の知能が低い、と。

事の真偽については、私はわからないけどね。多分そんなことはないと思うけどね。
10年以上前に何かで読んだことがありましたが、1週間ほど前に某アジアの先進国の方からも聞きました。こういう話が普通のこととしてまかり通る現実、悲しいよなぁ。でも、ものすごく遅々として進む授業を見たら、「そう言いたくなる気持ち」は、経緯としては理解できる。

だって、「こんにちは」の会話の流れをノートに書き写すおばちゃまたち、滅茶苦茶ペースが遅いんですもの。
これには、色々な理由があるんだろうけど。

*字が書けないので、まずはアルファベットを何回も書く練習が必要
*文法がわからず暗記をするのには問題があるのか
*DAPPボランティアは識字教育のプロではない
*本来いるべき教師が何故かこない
*政府のサポートがほぼ全然行き届いていない(これは私のオフィスの仕事です、ごめんね)

結局のところ何が言いたいかというと、この国に来て、教育の大切さをとっても感じるってこと。
教育を受けて、英語が話せないと、この国では現金収入を得るのがほぼ無理です。
一生を、野菜売りのおばちゃんとして過ごします。
野菜は、とっても安くてとてもそれだけでは家族を養うことができません。
子供を学校に入れるのは、無理です。
少ない収入を少しでも増やすために、野菜の量を増やし、労働力を補充するために益々子供を産みます。そして、文字の読み書きができない人口がさらに増えます。


逆に、教育をきちんと受けて、倍率の滅茶苦茶高い就職戦線を勝ち抜いたら、現金所得を手にれることができ、子供を学校に入れたり、スマートフォンのようなものを持ったり、インターネットのアクセスがあったり、そこそこ裕福に暮らすことができます。

教育を受けるのと受けないのでは、日本では考えられないくらいの格差があるのがアフリカです。




昨日は、その格差の衝撃がとても大きかった日です。
上の写真は、家主のお孫さんのCちゃんとKちゃん。パパが某国際機関にお勤めする都合で、ナイジェリアに住んでいますが、時たま里帰りでおばあちゃんである家主の家に遊びにきます。
疲れきって、ヒーヒーの私を出迎えてくれたオアシスちゃんたちです。

どうやら、二人共インターナショナルスクールに通っているのか、英語がとっても綺麗です。上の子は、フランス語も話せるみたいです。でも、親御さんとしては、マラウィ人としてマラウィに戻ってきた場合のことも考え、マラウィの公用語であるチェワ語を家庭で話している様子。マラウィ北部だけで使用される、我が任地の現地語、トゥンブカ語は話せないそうです。

無邪気にキャッキャキャッキャはしゃぐ女の子達。
彼女たちの側で、近所に住む男の子達がサッカーをしています。
でも、そこには絶対的な格差が・・・。
彼女たちは、ハイレベルな学校に通い、きっと自分たちと同じような超エリートの男性と結婚し、親御さんと同じようなリッチな生活を歩むんだろうな。
でも、横でサッカーをしていた男の子達は、小学校を卒業できるかも危ういし、その後、仮に仕事につけたとしてもお給料はものすごく少ないだろうし、飢餓やエイズ、悪質な医療、など様々なきっかけで長生きはできないんだろうな。

こういうのって、ほぼ、どういう家庭に生まれてきたかったいう運に尽きるよね。
確率論っていうか。
いや~、恐ろしい!!先進国だったら、多少所得の低い家に生まれても自ら奮起して這い上がることは可能。
でも、マラウィでそれはとっても難しいのです。

一日で、世間の上の階層と、下の階層両方を見てしまって、その格差の大きさにただただ残念な気持ちを感じるだけの私です・・・。

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