Friday, July 26, 2013

色々な気持ちごちゃまぜ☆

  
 
 
今日は、たくさんいろんなことがあって、〇〇な日だった!とひと言で形容できません!
 
まず一つ目は、我が家主の家に里帰りしてた女の子達が、去っていったこと。
さびし~よ~(´Д` )
 
日曜日に我が家に来た、家主の娘さんTちゃん(20代前半、栄養学を大学で学んでいる)。
ナイジェリアから来た、CちゃんとKちゃん。
ほかの親戚に会いに、我が任地から2時間離れたMzuzuに旅立ちました。
Tちゃんとは、クリスマス休暇まで会えません。
ちびっこふたりは、いろんな親戚めぐりをしたあと、両親と一緒にまた我が家に戻ってきます。
 
 
しばしのサヨナラだと思いつつも、名残惜しいので、朝起きてから、出勤するまでの数時間、ちびっこたちと、一緒に過ごしました。
朝起きて、一緒に朝ごはんのお粥(メイズの粉をお湯にといたもの)を食べて、テレビを見て、彼女たちの旅のおやつになるパパイヤを庭から採って、私のキッチンでココアケーキを一緒に作って、トランプをして。
純粋な二人といると、こっちもピュアなあの頃に戻れるようです。
おねえちゃんであるCちゃんの、「来年思春期が始まると思うんだけど、最近面白いことがたくさんあって、話しても話しても話し足りな~い!」って感じと、妹のKちゃんの「靴下を裏表に履いてるのがバレて、舌をぺろっと出してごまかす」感じが可愛くてたまりません。
 
家主は、後日やってくる彼らの両親、つまりは自分の娘さん&その旦那さんのために、大イベントを行いました。
 
 
・・・ズバリ、鳩を9匹絞めた~!!!!!
 
 
我が家には、鶏の小屋と、鳩の小屋があります。
マラウィでは、鳩はビールと一緒に楽しむちょっと高級なメインディッシュという位置づけです。
たまに、おめでたいことがあったときなどに、絞めます。
私も、誕生日や、友人が遊びに来た時に、家主が絞めてくれました。
一匹づつ絞めるのが普通と思ってたら、違いましたね(笑)
 
どうりで、朝っぱらから知らないオッサンが鳩の小屋を長い棒で突っつき回していたわけです。
朝お粥を食べたあと、家主のキッチンにお皿を片付けに行ったら、家主が大量の鳩を鍋に入れて、羽をむしりまくっていました。(写真に見えるとおり)
 
全部で九匹。ほんと、驚きです。
多分、家で飼ってるうちの、半分位だと思います。
どさくさに紛れて、私も一匹頂いてしまいました。
今夜の夕飯は、鳩のスープです♫お庭で採れた無農薬の人参と白菜と一緒に(*゚▽゚*)
 
お日頃のバスで出発とのことで、バス亭でお見送りをしましたが、バス停の中にある高級レストランでJICA職員や他の隊員とお昼ご飯を食べていた私は、テーブルに戻るとき、気持ちの切り替えがとっても難しかった。。。
 
ひと仕事を終えて家に戻ってきたら、思春期間近のCちゃんの手紙が外に置いてありまりました。
要は、「Seiko Sei, だ~いすき♡」という内容のもの。
なんぼめんこいんだべがさ!!!!
(なんてかわいいのでしょう)
 
きゅ~んとしたのと同時に、「おかえりなさい」って声をかけてくれる彼女たちがいないってことに気がついて、とっても寂しくなりました。
 
 
 

 

 今日の出来事、二つ目。
JICAスタッフの来訪。私たち隊員には、調整員という名のお世話係のような方が担当としてついています。活動の相談に乗ってくれたり、住居の設備を整えたり、経費の精算をしてくれたり。
今日、私の担当Oさんが、はるばる首都のオフィスより出張に来てくれました。私の活動の様子を視察するためです。

その目的としては、カウンターパート(=同僚)と共働出来ていない状況の改善を上司にお願いするため、というのもあります。
下の写真にあるNさんは、最近忙しくてオフィスにほとんどいません。急に3週間の研修が入ったり、フィールドにお金やトタン屋根を届けに行ったり。
おかげで、私はここ1ヶ月以上、彼とはほとんど会って会話をしていませんでした。
仕方ないから、私はDAPPの友人たちと活動したり、一人で識字教育のクラスを訪問しています。

けど、私が派遣された目的って、日本人=アウトサイダーとして、マラウィにはない技術や視点を同僚に伝達すること。これじゃ、全然本来の目的が達成されないままです。

今日の朝11時にOさんがオフィスを訪問することになっていましたが、散々リマインドしたにもかかわらず、トレーニングを行うために、不在でした。しかも、私には連絡は一切ありません。どっこい、これが毎度のパターンです。

日本スタンダードで考えると、社会人として失格ですが、私は彼をあまり責められません。というのも、トレーニングをどこかに受けに行ったり、トレーニングをどこかにしにいったりすると、必ず日給が出ます。給料がものすごく低い彼らにとって、この日給は子供を学校に入れるのに必要な資金になります。だから「あたしのこと置いといて、あんたどこいってんのよ!」と怒れません。
DAPPの友人は、ちょっと怒ったほうがいいんじゃない?とアドバイスをくれましたが・・・
もし私がNさんの立場なら、トレーニングを優先するもの(ただ、事前の連絡はしますけどね)。

午前中にNさん抜きでOさん&上司とのミーティングを済ませ、午後は識字クラスを訪問しました。
3時過ぎにJICAの車でオフィスに戻ると・・・Nさんを発見。
Oさんからも、「Seiko Seiを頼みますよ」と、口をすっぱくリマインドしていただきました。
「もちろんですよ~、あっはっはっは!」とOさんと固い握手を交わすNさん。

しか~し!!!!彼女がいなくなったあと、来週のスケジュールを聞くと「2週間出張」とのこと。
がび~ん・・・。彼との共働は、当分難しそうです。本当に、もったいないな~、隊員がせっかく入り込んでいるのに・・・。




どっこい、本日のオチはこれでは終わらなかったのです・・・。
JICAの車で一緒にオフィスまで来た、識字クラスの先生Aくんについて。
彼の時間のルーズさや、携帯がつながらないという障害を超えながらも、今日は久しぶりに彼と働きました。来週からグループ少額貯金をはじめるので、それの説明をしました。
少額貯金が落ち着いたら、HIV/AIDSについて、皆で学ぼう!ってことで話は進んでいましたが・・・衝撃の事実が発覚!!( ̄ー ̄)

9月8日にマラウィを発ち、2年間南アフリカで働くことになったそうです。
が~ん。
せっかく彼と一緒に方向性を定められた矢先のこと。
後任の先生も決まっているらしいですが、また振り出しに戻った感じです(´;ω;`)
明日の9時に私のオフィスで、Aくんと今後の1ヶ月半をどうやって進めていくか、話し合いをする予定。

仕事面ではかなり衝撃な事実が多い今日でしたが、ちょっと心躍る発見も♫
JICAの車で識字クラスの会場である小学校に行った際、いつもと違う道を通りました。
これまでは、犬がうろちょろしている道を通ってて、いつもハラハラでしたが、犬がいない道を発見!!ラッキー!!!

これまでは、マラウィ人特有の面倒見の良さからか、Aくんが自発的に私のオフィスまで迎えに来てくれたあと、クラスを訪問していました。
が、今後は彼がいない時でも私一人でサクサク身軽にクラスにいけちゃいます♫うれしい!!!

さびしいことも、ぐったりしちゃうことも、たのしいことも、み~んなごちゃまぜの一日でした。
全然大したことしていないのに、マラウィは本当に疲れます。

おやすみなさい☆GOODNIGHT☆

Wednesday, July 24, 2013

7月15日、Dzaleka難民キャンプ訪問

 
先日、7月15日に、協力隊員のみんな及びJICAスタッフ一名と、Dzaleka難民キャンプに遊びに行ってきました。
 
 
首都から45キロのキャンプ訪問は、実は3回目なのです、私。結構行ってます。
 
今回はJICAスタッフYさんが車を出してくれる&フランス語の通訳をしてくれる、とのことで、あやかってしまいました(((o(*゚▽゚*)o)))

ちなみに、5人で訪問しましたが、3歳年下のPちゃん以外、皆さん同学年なんです。
昭和58&59年生まれっていう、今年度30歳になる、微妙なお年頃(笑)
 
 
そうそう、この難民キャンプ、みなさんが想像しているようなキャンプではありません。
キャンプ・・・というより、ひとつの街が出来上がっています。
 
 
特に、入口の看板や境界線はなく、メインロード、M1から曲がって20キロ位進むと、なんとなく集落が広がっており、それがキャンプです。
でも、よ~く見てみると、UNHCRの旗だったりユニセフの学校(?)があったり、実は難民キャンプです。
 
 
キャンプには、同行したGちゃんの任地Emfeniよりもたくさんの設備があり、街として充実しています。(ネットカフェ、床屋、レストラン、売っている野菜のバリエーション、など)

 
また、街を歩いていると、いろんな国から流れてきた難民の皆さんが普通に生活しています。
だから、「ボンジュール♫」ってたまに話しかけられて不思議な感覚です。
 
私が知っている限り、難民の皆さんは、スーダン、ブルンジ、ジブチ、ソマリア、コンゴ、などから来ている模様。だから、パッと見ただけで、顔がマラウィ人とは全然違う人たちがたくさんいます。
 
この日は、Yさんの通訳のもと、道端で知り合ったフランス語を話す男性(確かブルンジ出身)にいろいろ案内してもらいました。

 

これは、難民の住む家です。基本的に、マラウィ人の家とあんまり変わりません。
番号と?マークは、この家がそのうち撤去されて、その場所に新しいヘルスセンターが出来ますよっていう印。さすがにUNHCRがガッツリ入り込んでいるから、こういった管理は「一応は」出来ている様子です。



これは、小学校の外観。下手に田舎の学校よりも、全然しっかりした建物。
マラウィの村の学校は、もっとボロボロ。逆差別の域ですよ、これは(ーー;)



机と椅子もきちんとそろってるしね!
私がDAPPの友人と訪問してる村には、このように綺麗な机と椅子は潤沢にありません。


よく考えれば、そうだよね~。ここを訪問する前に訪れたEmfeniでは電気も水もないから、上の写真のようにテレビっていう娯楽があるだなんて・・・まぁ!恵まれていること!
ちなみに、国連の寄付だって。
この日はプロレスみたいな格闘技を放送してました。観ている人が全員男性です。


これは、新しい難民がとりあえず収容される、シェルター。10ヶ月前に訪れた時とは変わって、半分崩れています。
最後に新しい難民を受け入れたのは、1年前とのこと。私がこのシェルターを訪れたときにいた難民の後には誰も入ってきていないみたい。
ホントかどうだか知らないけどあながち嘘ではないらしい。

とある記事によると、大統領Joyce Bandaが、このキャンプを締めようとしているみたい。
難民のみんながビジネスを牛耳って、マラウィ人の雇用に悪影響が出ているから、とのこと。

う~ん、この国の問題解決のアプローチはいつも間違ったベクトルを向いている気がする(^_^;)
自分たちより優れた人が入ってきたら、技術や知識を盗んでやろう、くらいの意気込みが欲しいなぁ。マラウィ人、ヘラヘラ笑って傍観するか、僻み根性で邪魔するか、のどちらかなんですもの・・・。

だから、発展しないままなんだと思います。


 
新しい難民用シェルターですが、ここにまだ住んでいる人がいて、煮炊きなども行えます。


お気楽な日本人グループ☆彡




これは、結婚式の写真。
キャンプがコミュニティとして成立しているので、できちゃう行為ですね。
何故かマラウィ式結婚式です。この車の中に花嫁花婿が乗ってます。会場に向かうところかな!

 
躍動感溢れるロバ車の写真。後方から勢いよく走ってくるロバが怖くて逃げたはずなのに、Kくん曰く、「ロバの走る方向と同じ方向に逃げた」ため(アホですね)、リアリティ満点の一枚になりました♫
 




これは、お昼ご飯を食べた、ソマリア人経営のレストラン。
驚きなのが、電子レンジがあること。マラウィでは、一般的な家庭で電子レンジは買えません。
私の家主のようにお金持ちでないと、所有できません。
(しかし、その電子レンジ、私が1ヶ月以上借りっぱなしです(笑))


でも、ここでは、電子レンジが「あることが普通」ってな感じで置いてありました。
ためしに肉団子を食べ歩きしようと思い、一つ頼むと、電子レンジで加熱してから渡してくれました。
暖かい食べ物をTake Awayでもらえるって感覚は、1月の日本への一時帰国以来マヒしていたので、一瞬びっくりしました。
マラウィ人も、ただ僻んでばかりいないで、こういうところに転がってることを学びの機会とすればいいのに。なんだか、本当にもったいないな~。


さて、お昼ご飯はこんな感じ!
サモサ、チャパティ、肉団子、チャイ(メチャ甘いミルクティー)。そして、サラダとデザートのバナナをサービスしてくれました( ´ ▽ ` )
チャイが本当に美味しかった!スパイスとか入っていないのに、何故かとても美味しかった・・・!
ちなみに、お値段は300Kwacha(約100円)。ほかのマラウィ人経営のレストランに比べて、安すぎなくらいです。きっと、ご主人の計算間違いのおかげです、ごちそうさまでした。

*****
・・・と、一見、マラウィ人と変わらず、いやむしろ、マラウィ人より恵まれた生活をしている難民の皆さん。としめくくりたいところですが、そうはいきませんでした。

キャンプを訪問した次の日である7月16日、バスで任地に戻る時でした。隣に座ったマラウィ人のおじさんが英語が達者だったので、二人でぺちゃくちゃおしゃべりをしていたときのこと。

あたし、昨日Dzaleka Camp行ったんだよね~。って話をしました。
ら、とっても切ないことを聞いてしまいました。

そのおじさんも一度、Dzaleka Campに行ったことがあるそうです。
深夜11時頃、皆が寝静まった頃に、車で到着すると、エンジン音に反応した難民たちが「何が起こったのだ?!!!」と警戒して、皆さん家から飛び出してきたそうです。

「あの人たちは、危険と隣あわせの戦争の状況が肌身に染み付いているんだね~」
と平和な国、Warm Heart of Africaのマラウィ人のおじさんは言いました。


パッと見、そこそこ楽しそうに暮らしていると見受けられる難民たち。
心の底には、生きるか死ぬかの瀬戸際を体験した時の傷が深く刻まれていることでしょう。

話してくれたおじさんの、のほほん具合と対照的すぎて、切ない。

布ナプキン講座:Emfeni編

 
 
 
7月10日&11日、わが同期のGちゃんの任地Emfeniで、布ナプキン講座をしてきました。
 
Emfeniは、同期の中では最も田舎です。彼女の家には水道はありますが、電気はないのでJICAよりソーラーパネルが支給されています。雨や曇だったら、ライトがつかないし、パソコンの充電ができない、太陽の「こんにちは加減」に左右される生活です。水については、街だったら使用した分請求書が発行されますが、田舎でモニタリングする人手が足りないのか、年間2000Kwacha(約700円)という破格の値段で使い放題だそうです。
 
てなわけで、Gちゃんは田舎隊員だ~!って半分からかってたら、仕事という名の下Emfeniに招待されました。出不精の私ですが、先方からの念入りなアタックに心が動かされたというのもあります(笑)
 
さて、Emfeniへのアクセスについて。マラウィは南北に細長い国ですが、国土を縦断する形でメインロードが通っています(通称M1)。M1沿いのNkhameynyaという、我が任地から1時間40分ほど離れた街でバスを降り、自転車タクシーで1時間ほどで着きます。
一応KIOSKのようなお店が数件あるし、ヘルスセンターもあるし、きれいなおうちもちょいちょいあります。2件ほど、ソーラーパネルでテレビが見られるおうちがあるそうです。
協力隊員が数年入り込んでいるので、皆さん援助慣れしており「お金くれ」「ものをくれ」の攻撃が激しい様子。


 

Gちゃんちに着くと、猫ちゃん3びきがお迎えしてくれました。上の写真の彼女は、Chipatalaちゃん。病院でもらったので、現地語の病院ということで、Chipatalaという名前になりました。通称チパちゃん。以前うちの家主がもらってきてくれた今は亡きニャン吉くんに似てるので、より可愛く感じます。
夜中トイレに起きたら、三匹がトイレに行こうとする私の足元に「にょろにょろにょろにょろ~~~」っとまとわりついてきた時が一番可愛かったかも( ´ ▽ ` )

 
 
さてさて、猫ちゃんたちに挨拶をしたあとには、ナプキン教室の前日打ち合わせため、小学校へ。
次の日から通訳として二日間お世話になるPEA(Primary Education Assistant?小学校の経営をモニタリングするおばちゃま)のおばちゃんにナプキンの使用法、利点、当日の流れを説明しました。
 
彼女、教員養成の短大を卒業する前、実は私と同じ村落開発の畑にいたそうです。私のオフィスの同僚と同じ、生活改善普及員さんの短大も卒業しているそうです。
だから、私が提案した布ナプキンをとっても喜んでくれました。(地産地消でき、衛生面や快適さにも長けるという点で)
 
上の写真は、私がオフィスの同僚から教えてもらった、布ナプキンの作り方(現地語バージョン)を髪に書き写す、おばちゃま。


 
 
 
さて、ナプキン講座の当日について。
朝8時半、自転車タクシーのおじいちゃんが迎えに来ました。1時間ちょっとかけて、目的のVazalaという村へ。私と通訳のおばちゃんは乗ってるだけですが、Gちゃんはスイスイ自転車を漕いでました。彼女のスタミナもすごいものです。
 
途中、5年前にライオンが男性を食べて頭だけ残っていた、という曰く付きの道も通りました。
皆さん、夜間には気をつけましょう。
(ちなみに現在は森林伐採が進み、ライオンはいません。でもハイエナくらいは出ると思います)
 
 
 
10時前に、会場であるVazalaの小学校に到着。私たちが講座を行ったのは、CBOに対して。
CBO:Community Based Organizationは、エイズが爆発的に増えたことで国が奨励した互助会みたいなものです。エイズ陽性者がグループを作り、各々に政府が外国からの寄付を渡すための利便性を考慮して作られた体制です。現在では、エイズに関わらず、以前私が働いていた活動先のように、パンを焼いたりバッグを作ったりして収入創出活動を行っているところもあります。
 
上の写真は、CBOをまとめるリーダーの男性方。普段はタバコやメイズを作る農民ですが、ボランティアでCBO経営に携わっています。
やはり、村の食糧事情は街よりも悪いです。お肉や様々な野菜を手に入れるのが難しく、男性は揃ってみなさん頬がこけていました。。。
 
事前にGちゃんが、時間に遅れないようにと強いほどの念押しをしてくれていたので、皆さん予定よりも早く集まってくれました。40人ほどのおばちゃまたちが今回のターゲットです。
 
事前に、可能な限り布や裁縫道具を持ってくるように指示を出しましたが、持ってきてくれたのは、ほんのひと握り。想定内ですが、ちょっと残念。たとえ道具を忘れても、白人が予備を用意してくれてるだろうって甘い考えが強いみたいで。
 
JICAのお金で買った材料を皆に配り、Gちゃんのお裁縫道具をおばちゃんたちに貸し、布ナプキン講座はスタート。
 
 
通訳のおばちゃんが、布ナプキンをすごい気に入ってくれたこともあり、テキパキさばいてくれました。おかげで、40人という大人数をどうにかGちゃんと3人でさばくことができました。
参加者の反応もとっても良く、みんな興味津々でお裁縫をしていました。
やっぱり、日頃膣の中に布切れを入れるしかないっていう状況は、しんどいよね、マラウィの女性たち・・・(>_<)布ナプキンにくいつく気持ち、わかりますとも!
 



あ、ちょっとおもしろい写真が手に入りました(*゚▽゚*)
上の写真は、切った糸がなくならないように、頭の上に巻きつけている女性です。
黒人の髪は日本人のようにまっすぐではないので、こういう時に役に立つのです( ´ ▽ ` )


休憩中のGちゃんと、自撮りショット(´・ω・`)



CBOの寄付による、お昼ご飯のSima。これ、40人分です。


 
これは、完成した布ナプキン。柄がめちゃくちゃ派手なのは、いろんな布のハギレで作ったから。
見た目はどぎついけど、機能性は良し、なはず!(^-^)

二日間かけて、布ナプキンは予定よりちょっと早く終了。
なんと、うれしいことに、参加者の皆さん、私たちの知らないあいだに、感謝の気持ちとして、布ナプキンの寸劇を用意してくれたのです( ´ ▽ ` )

出演は、CBOのリーダーの男性二人と、参加者の女性二人。夫婦ふた組みの設定。
奥さんふたりが布ナプキン講座に参加するんだけど、一方の家庭の旦那さんが、「お前、昼ごはん俺に作るのをサボって、どこに行ってたんだ!!」と激怒し、奥さんはしどろもどろ。
そこで、もう一方の夫婦が登場。このふたりは、夫婦で布ナプキンの有用性をシェアし、旦那さんにも理解をいただいている設定。
彼らが、起こった旦那さんに布ナプキンの良さを教えてあげる。

っていう劇でした☆


「布ナプキンという新しいことを始める時には、家族の理解も得ましょう」って教え、です。
寸劇なんか、お願いしていないのに!!
嬉しくて泣きそうになった~!!!
はるばるMiddle of Nowhereの田舎に足を運んで本当に良かったと思える瞬間でした。

 

 
 
布ナプキン講座を終えたあとは、「慰労会」ってことで、Gちゃんがホロホロ鳥を絞めてくれました♡
きゃ~!ありがとう!!Gちゃん!!(*゚▽゚*)
日本の皆さん、ホロホロ鳥って知ってますか?なんか、フランス料理なんかでメニューあるみたいですね。マラウィでは、鶏よりも耐性が強いので、ほっといても割と平気に育つ鳥って立ち位置です。

マラウィ人的には、「お客さんが来たというのにホロホロだなんて、失礼だよ!」って感じならしいですが、私は物珍しさが優先し、Gちゃんに絞めてもらいました。
 
疲れたけど、無事に終わったということで一緒に飲んだビールはとても美味しかった!
そして、ホロホロの水炊きも美味しかった!味はほとんど鶏と同じ。ちょっと脂が少ないかしらっていう程度の違い☆
 
今回は、ガチの業務でお邪魔したEmfeniでしたが、今度は完璧なプライベートでお邪魔する予定♫ひたすら猫とゴロゴロしてお菓子を食べて、その頃には完成しているだろうドラム缶風呂につかるっていう予定です(((o(*゚▽゚*)o)))
現在妊娠中のChipatalaちゃんの出産シーンにうまく予定が合わせられるといいなぁ!( ´ ▽ ` )
 
 
てなわけで、Gちゃん、お疲れ様でした(´ω`)
 
 
 

 




















超絶な格差


 昨日という一日は、いつもに増して教育の大切さについて考えさせられました。

例によって(えっへん!)、15キロ離れた村にDAPP皆さんと一緒に行き、ナプキン普及活動を行ってきました。
12時過ぎに出発し、2時前に到着し、2時から一時間識字教育をDAPPのメンバーが行い、3時から4時まで私がナプキン講座を行うのがここ最近の流れになってきました。
上の写真は、昨日いった村とは別の場所ですが、このようにして細々と授業が行われています。

授業の内容は、本当に基礎的なものです。
*こんにちは、などのあいさつ
*あなたの名前はなんですか
*どこからきましたか
程度のもの。

でも、村人たちは、いくらノートに書き写しても次の週に私たちが訪問した時には忘れてしまっている人が多勢です。昨日の授業も例外ではありませんでした。

何度も何度も「Good afternoon」「How are you? I am fine.」の綴りと挨拶を教えても一見変化がほぼ見られない生徒さん(主におばちゃまたち)に、Kちゃんは、がっくりへんこんでいました。
私がここにいる意義は一体何だっていうのさ、と考えてしまったそうです。

生徒さんの理解度は、クラスや先生によって変わってきますが、私がたまにお邪魔している街の中心地にあるクラスの生徒さんは、政府支給の教科書があるおかげか、もともとの基礎力があるからなのか、もうちょっと高度なことを学んでいます。

私も彼女の立場だったら、何度も同じことを繰り返すだけのクラスにモチベーションが失われてしまうだろうな。
今日から明日オフィスの同僚と話す機会があったら、彼らの理解度の低さの理由を聞いてみようと思う。

ちなみに、同じような障害にぶつかった人が言い始めたのか、単なる偏見が生み出したのかはわからないけど、こんな話を聞きました。
白人と黄色人種よりも、黒人の知能が低い、と。

事の真偽については、私はわからないけどね。多分そんなことはないと思うけどね。
10年以上前に何かで読んだことがありましたが、1週間ほど前に某アジアの先進国の方からも聞きました。こういう話が普通のこととしてまかり通る現実、悲しいよなぁ。でも、ものすごく遅々として進む授業を見たら、「そう言いたくなる気持ち」は、経緯としては理解できる。

だって、「こんにちは」の会話の流れをノートに書き写すおばちゃまたち、滅茶苦茶ペースが遅いんですもの。
これには、色々な理由があるんだろうけど。

*字が書けないので、まずはアルファベットを何回も書く練習が必要
*文法がわからず暗記をするのには問題があるのか
*DAPPボランティアは識字教育のプロではない
*本来いるべき教師が何故かこない
*政府のサポートがほぼ全然行き届いていない(これは私のオフィスの仕事です、ごめんね)

結局のところ何が言いたいかというと、この国に来て、教育の大切さをとっても感じるってこと。
教育を受けて、英語が話せないと、この国では現金収入を得るのがほぼ無理です。
一生を、野菜売りのおばちゃんとして過ごします。
野菜は、とっても安くてとてもそれだけでは家族を養うことができません。
子供を学校に入れるのは、無理です。
少ない収入を少しでも増やすために、野菜の量を増やし、労働力を補充するために益々子供を産みます。そして、文字の読み書きができない人口がさらに増えます。


逆に、教育をきちんと受けて、倍率の滅茶苦茶高い就職戦線を勝ち抜いたら、現金所得を手にれることができ、子供を学校に入れたり、スマートフォンのようなものを持ったり、インターネットのアクセスがあったり、そこそこ裕福に暮らすことができます。

教育を受けるのと受けないのでは、日本では考えられないくらいの格差があるのがアフリカです。




昨日は、その格差の衝撃がとても大きかった日です。
上の写真は、家主のお孫さんのCちゃんとKちゃん。パパが某国際機関にお勤めする都合で、ナイジェリアに住んでいますが、時たま里帰りでおばあちゃんである家主の家に遊びにきます。
疲れきって、ヒーヒーの私を出迎えてくれたオアシスちゃんたちです。

どうやら、二人共インターナショナルスクールに通っているのか、英語がとっても綺麗です。上の子は、フランス語も話せるみたいです。でも、親御さんとしては、マラウィ人としてマラウィに戻ってきた場合のことも考え、マラウィの公用語であるチェワ語を家庭で話している様子。マラウィ北部だけで使用される、我が任地の現地語、トゥンブカ語は話せないそうです。

無邪気にキャッキャキャッキャはしゃぐ女の子達。
彼女たちの側で、近所に住む男の子達がサッカーをしています。
でも、そこには絶対的な格差が・・・。
彼女たちは、ハイレベルな学校に通い、きっと自分たちと同じような超エリートの男性と結婚し、親御さんと同じようなリッチな生活を歩むんだろうな。
でも、横でサッカーをしていた男の子達は、小学校を卒業できるかも危ういし、その後、仮に仕事につけたとしてもお給料はものすごく少ないだろうし、飢餓やエイズ、悪質な医療、など様々なきっかけで長生きはできないんだろうな。

こういうのって、ほぼ、どういう家庭に生まれてきたかったいう運に尽きるよね。
確率論っていうか。
いや~、恐ろしい!!先進国だったら、多少所得の低い家に生まれても自ら奮起して這い上がることは可能。
でも、マラウィでそれはとっても難しいのです。

一日で、世間の上の階層と、下の階層両方を見てしまって、その格差の大きさにただただ残念な気持ちを感じるだけの私です・・・。

Tuesday, July 9, 2013

マラウィに来て一番疲れた日

 
 
今日は、マラウィに来てから一番疲労を感じた日でした。
なぜならば、15キロにも及ぶ上りの道を自転車で頑張ったから。
DAPP(デンマークの援助機関)のボランティア3人組と一緒に彼らの活動先の村に行ってきました。布ナプキンの紹介のためです。

本当に、本当に、しんどかった。。。前日、不安であんまり眠れなかった。
だって、以前総スカンされた活動先には10キロ弱の道のり。私、人生でそれ以上の距離を自転車でこいだこと、なかったんですもの~!!!
 
でも、行って良かった、と心から思います。
普段どんなにしんどい思いで友達が通勤しているかわかったし、辺鄙な場所にこそ、布ナプキンのニーズはあるんだよね。街では、市販のナプキンは買えるし、ナプキン代わりのコットンだって、買えるし。でも村では、全然買えないみたい。
婦女子の皆様、普段腰に巻いてる布、Chitenje(チテンジ)のハギレを膣の中に入れてどうにかしてたり・・・結構苦労されているみたい。
だから、私が現地語&英語で布ナプキンの利点を説明したら、皆さん大変興味を示してくれました。うれしかった~!(((o(*゚▽゚*)o)))
 
任期が残り半年を切り、生活に慣れて時間の使い方がダルダルになっていましたが、最近、なぜ自分がここ、世界最貧国のひとつ、マラウィにいるのか、を考えるようになりました。
日常の面倒くささでつい忘れがちになるけど(実は、とってもマズイ、この鈍感力は)、現地の方の生活を向上させるため、だよね。
自分の中で再認識を図りました。ら、自然と生活でしなければならないことの優先順位がクリアになった~!
要は、前よりも精力的に活動を頑張ろうってこと。
 
本当は、村までの15キロという距離、我が任地の標高1680メートル、という二つの要因を考え、ちょっと自堕落に生きてきた自分には無理じゃないか、と諦めそうになりました。
が、自分がここに来た目的&Missionに立ち返りました。
グループを訪問して得られる村人への利益・自分の経験値と、チャリンコをこぐだるさ、を天秤にかけた結果、勇気を出して訪問することにしました(笑)
 
 
にしても、しんどかった~。心臓破りでした、マジで。
途中、自分が給料ももらわず、なぜそこまで大変な思いをして人のために働いてるんだろう、と一瞬考えました。
ま~、やっぱり、こういう人助けの仕事、好きだからなんだけど。うふ。
 
途中の坂では何度も自転車を引きながら歩いて登りました。
「焦らなくていいんだよ~」優しく声をかけてくれた友人に本当に感謝。
あの場で、「おせ~よ」という雰囲気が少しでも流れたら、私の心は萎えて、マジで泣いてたか、踵を返して家に帰ってたと思います。
 
自分が日本に帰って社会人として職場に復帰したら、辛そうにしている同僚には絶対冷たい言葉をかけないぞ、と誓いました。
 
国際援助というフィールドにOLから戻ってきてから、こっちの世界では、ものすごく思いやり精神に溢れる人が多いです。人のために身を粉にして働く、というミッションだから、自然とそう言う人が集まってくるのだけど。そういう人と仲良くなれることで、とても勉強になります。
私、もともと、ものすごく自己中心的な人間だから、学びがとても多い。
 
上の写真は、大体中間地点で小休憩をして撮ったもの。
もうね~、汗が額から滴り落ちて、日焼け止めと混ざって目に入って、とてもしみるのよ・・・。
週に4回この距離を通っている彼らを私は尊敬します、マジで。
 
てかね~、田舎の地域に行くときに感じることがある。
どんなに辺鄙な場所でも、学校がある。
「Middle of nowhere」ってな場所にも道があって、生活の場所がある。
人間って・・・なんか、すごいね。
ほんと、漠然とした言葉しか出てこない自分が悲しいとこだけど。
 
さてさて、村に到着しました。
私が担当するのは、成年識字教育のクラスの女性たち。
男性の生徒さんも少数いるのだけど、彼らには男性の先生と一緒に、布ナプキンの話をする時には退出してもらいました。
マラウィでは、日本以上に、生理に関する話を男性の前でするのは、タブーなのです。だから、私が男性の前で女性たちにナプキンの話をしたら、全然本音の感想が出てきません。

クラスは2時に始まる予定ですが、先生と私たち以外、時間通りに来る人はいません。
1時間くらいたって、総勢7名の女性が集まりました。「奇跡的に多い数」とのこと。
上の写真のように、しっぽり授業が進むのです。

この日は簡単な挨拶。
こんにちは、名前は何ですか?出身はどちらですか?何歳ですか?
などなど。首都は大都市を除けば、このような簡単な会話すらできない人がゴロゴロいるのがマラウィです。
2006-2007年に滞在していたカメルーン(私がいたのは、国民の20%である英語圏でした)とは対照的。当時、英語ができない人にはほとんど遭遇しませんでした。一度働いていた農場でひとりの女性にあったけれど、正直そのとき「英語がしゃべれないでどうするんだろう・・・」驚いたものです。
でも、マラウィではそれが普通。

この差は、一体何の理由があってのことなのか。実は、これしばらく私の中の大テーマでした。
でも、奇跡的に、本日同行した3人の前任者の家に遊びに行った時に、DAPPのカメルーン人のスタッフと合うことができました。しかも、彼も英語圏20%の出身でした。
このタイミングを逃してはいけない!!!!と私は、彼にこの差はなぜ生まれるのか、聞いてみました。

どうやら、教育制度に問題があるようです。
カメルーンでは、小さいうちから英語教育が始まります。私がお世話になっていたおうちでは、5歳の女の子ですら、私が話している英語を理解できました。
街を歩いていても、私が触れたほぼ全ての人が、流暢に英語を話していました。
どっこい、ここ、マラウィ。我が任地Mzimbaは、一応県庁所在地ですが、道で野菜を売ってるおばちゃんたち(要は私が普段町で目にする人)は、「How are u? I am fine」くらいしか話せません。
マラウィは学童年齢がある程度進まないと、英語を学ぶシステムではないから、英語を学ぶ段階の前で、お金の問題や、教育への親御さんの意識の低さで学校に通えなくなる生徒がとても多いのです。

これが唯一の理由ではないけど、大きな理由ではあると思います。

マラウィという小さな国では、現地語だけ話せても、現金所得に結びつく仕事に就くことは絶対できません。だから、識字教育(特に英語)は、重要なのです。



 
さてさて、2時半から3時半まで識字教育が行われている間に、他の二人の活動を外のグラウンドに見に行きました。小学校のグラウンドで、情操教育の一環として球技を教えているみたいです。
小学校の先生が通訳になって、手とり足取り教えます。
 
私たちが訪問したこの村、街から10キロ以上も離れているのに、英語を話す先生がいます。
英語ができる人に会うと、正直ほんとにほっとしてしまうんです。
なんか、教育って、人間の根底にあるものなんだなって、つくづく思う。

さてさて、3時半を回ったところで、15分ほどお時間を頂き、布ナプキンを紹介なり~♫
事前準備として、布ナプキンの利点、材料、紹介する理由、必要事項の全てをカウンターパートのNさんに現地語に直してもらいました。
それをフリップチャート(でっかい紙)に、出発前の15分前、要点をかいつまんで、殴り書き(あ、急いで書いたって意味ね。)。本番に臨みました(ここでも、いやなことをあとに回してしまう癖が出た・・・)。


ちなみに、本日話した内容は以下の通り
1.布ナプキンの利点
まずもって、快適だし。
洗って使えるから、ナプキンやコットンのお金かからないし、体を清潔に保てるし。
作ってうれば、お金も稼げるし

2.材料
古いチテンジ、古いシャツ、ズボン、など吸水性のあるコットンならなんでもいい。
タオル生地(血を吸うため)、ボタン、針、糸、以上。

3.紹介する理由
上記の衛生面に加え、11月頃から発生するとされる、飢餓対策のため。
今年は雨がとても少なく、トウモロコシの収穫が場所によってとても少なかったことを以前このブログで取り上げました。
飢餓が起こると、自分の家で取れたぶんのメイズがなくなり、どこかから買わないといけません。だから、現金が必要になる。村にいる女性たちは特に、自給自足に近い生活を送っているので、現金所得がとても貴重になるのです。

こ~んな感じ、へへ。
材料はこちらで用意するのですが、参加者にもなるべく持ってきてもらうようお願いをしました。
Self reliance万歳でしょ~。モノとお金を上げるのが私の任務ではない。
スキルを伝えるのが私の任務ですから。


うれしいことに、皆さんすごく興味を示したくれたので、来週の月曜日から布ナプキン講座を行うことになりました。
なぜ私が布ナプキンをメインの活動にしたかというと、私自身、経血がジュワっと漏れる感覚がとっても不快で耐えられないから。本当にこの感覚が嫌だから。
日本の高性能の生理用品でさえイライラする私。布のハギレをいれただけのマラウィの生理事情のイライラ度はいかほどのものか、っていう点で、とっても同調できるんだよね~。



さてさて、そんなこんなで4時になり、1時間かけて皆で街に戻りました。
行きが登りな分、帰りの下りが楽・・・だったはずなんだけど、急勾配&坂の長さゆえ、これはこれで、ちょっとしんどかった。
スピードが出過ぎて転びそうになるし、スピードのコントロールが難しいし。
行きよりは楽でしたが、これはこれで疲れました。

道の途中でDAPPの3人と別れたあとは、一気に気がゆるみました。
いつも通勤で使ってる道なのに、ペダルの重さが3割増で、ものすごくチンタラチンタラこいで家まで帰宅しました。

脳の機能が数分の1に下がった今、ぼやっと思うこと。
今後の未来にどうつながっているのかわからないけど、私、人に出逢う運にとても恵まれたな、と。
このタイミングで今の任地にいなければ、DAPPのボランティアのプロジェクトが始まるタイミングとは合わなかったし、Peace Corp(アメリカのボランティア)だって、しば~らく我が任地に入り込んでいなかったらしいし。
DAPPの人たちと出会わなければ、ブラジルではリオじゃなくてもどこでもサンバをやるんだとか、ペロポネソスはギリシャの南部にあるんだとか、スロベニアはユーゴスラビアの一部だったとか、わからなかったよな~(笑)
彼らと一緒に活動出来ること、本当にプライスレスです。
惰性で日本にいたら、こんな世界各国の人達と出逢うことなんてなかったものなぁ。
不思議なくらい素敵な出会いに恵まれてるので、何か、良い形で未来につながることを信じています。


ところで、今週は同じMzimba県内にあるEmfeniという町に3日間滞在し、布ナプキン講座をします。協力隊の同期が住んでいる村です。ご招待されちゃいました♡
その後、難民キャンプに訪問したり、やることずくめですが、今は疲れきって、何も1週間の旅行の準備ができません。

ただ、自分のテンションを上げるために、足と手の爪を、日本でおばあちゃんに買ってもらったマニキュアを塗りました。
今日は本当に疲れた・・
おやすみなさい。

Saturday, July 6, 2013

ちょっとずつ、Pachoko pahoko、進んでいます


7月5日:本日の活動

 

今日も、マラウィ人に振り回されながらの一日だった。いい意味でも悪い意味でも。

割と、動きの多かった日だと思う。

 

9時、街にて両替。最近、ドルとのレートはUD=MK340程度に安定しているみたい。

時間がかかるかと思えば、待たずに出来ました。

 

※そうそう、わかりやすく説明すると、昨年4月に大統領がなくなりました。それによって現在のJoyce Banda大統領に代替わりがありました。大統領が変わる前は、正規レートが為替レートがUSD=MK170くらい(確か、固定レートだったはず)で、闇レートがUSD=MK250くらいでした。経済のことについて私はとても鈍いので、詳しい理由はわからないけど、元大統領の政策がグダグダだったことで、経済はグダグダ。マラウィ内で外貨が足りなくなりました。そのおかげで、特に、貴重な輸入品である、車の燃料が輸入できなくなったのです。だから、任地へ向かうバスの本数が減ったり、質の悪い闇市場での油を使用することで、車のエンジンを傷めてしまったり・・・と、問題がアリアリでした。

一方、大統領が変わって、通貨の切り下げが行われました。すると、MK(Malawi Kwacha)の価値はみるみるうちに下落。Maxだと、今年の四月くらいでしょうか、USD=MK430程度まで落ちてしまいました。もちろん、MKの価値が下がったので、街で売ってる全ての輸入品の値段も上がります。私たちは米ドルを持っているからいいものの、普通のマラウィ人たちには、大打撃だよね。本当に可哀想な状況なのです・・・。それでも、紛争や大規模な暴動が起こらないのは、マラウィ人の特性がとても穏やかだからだと思います。

MKがどこまで下がるんだろう・・・と皆注目していたら、4月に入ってからでしょうか、下落が収まりました。輸出品であるタバコの収穫があったからとのことです。現在はUSD=MK340くらいで安定しています。

ま、これからどうなることやらって感じですけど☆

 

両替後、成人識字教育の先生であるAくんが来る予定だったけど、来ず。電話してみると、「やっぱ、午後に行くわ~。」とあっさり言われました。予定を変えるなら、前もって言って欲しいし、そもそも、きちんと連絡して欲しいし・・・。Aくんは日本の援助団体で働いていたことがあるのだから、そのへんの感覚をわかっててくれてもいいとは思うのに・・・などなど、思うことはたくさん。

お昼をまたいで3時間半ほど、オフィスで待つ・・・。JICAへの報告書をタイプしながら、Skypeで友達&マミーとチャット。

マラウィにいると、人との約束、バスの出発時間、などなど、待ち時間が異様に多い。この空白な時間がなければ、マラウィは今よりもう少し発展していたはず・・・考えるだけ不毛かもしれないけど。チャットしている日本の友人は、半端なく忙しそう。まさに「忙殺」されながら、私とチャットしていました。マラウィとの比較をし、一人シュールな気持ちになってました・・・。

 

ら、DAPP(デンマークの機関)の友達からメールが。「明日お昼に予定していた、月曜にある布ナプキン講座についてのランチミーティング、できなくなりました。ムズズ(ここから100キロ離れた街)に行く予定が今日から明日になってしまって。良かったらSeiko Seiもおいでよ~!」っていう、内容。そんな前日に誘われても行けるわけないじゃん・・・!ていうのは、日本人の感覚で、こっちにいると、あながち彼女の誘いに乗っちゃえる自分もいるんだよね。今回はちょっとお断りしたけど。

マラウィの締まりの無い時間の感覚に流されているDAPPの友人に、ちょっとププってなりました。(私も、よくこういうの巻き込まれます、という意味で。)

 
 
 


さてさて、そのうちAくんが登場。私、今日は怒りましたよ。彼が来るまでオフィスの前で腕を組んで仁王立ちして待ってた。さすがに、Aくん「ごめんごめん」と謝っていましたが()でもね、これ、ちょっとした愛のムチなんですよ。どうやら、彼、政府が韓国もしくはクウェートに労働者を派遣するプログラムの一員らしく、政府の準備が整ったら(いつになるのかは、ちょっと謎だけど)3年間どちらかの国に行けるらしい。先進国のビジネスでマラウィと同じような時間の感覚で動いていたら、早々に総スカンをくらうことが目に見えているので、今から少しずつ慣れてもらおう・・・という老婆心ゆえです。
 
※写真について。先生たちのトレーニングの時に撮影したもの。左から2番目がA君。

 

本日の議題は、次回以降の授業で行う内容について。前に話した時に、現金所得を得るためにも、Group Savingを始めたいとのこと。

※マラウィで行われているGroup Savingとは、グループのメンバーが週に一回決まった額のお金を持ち寄り、そこにある現金を、メンバーの誰かが全て借ります。1ヶ月後、決められた利息(20%が定番)を上乗せした額を返済します。年度末には、利息分のお金が合わさったものをメンバーに配分します。利点としては、大きな額のキャッシュをほかの金融機関よりも安く借りることができる、利息分が利益になる、ということです。

 

彼は、Group Savingのやり方を詳しく知っているそうなので、Group Savingを何故進めるかの理由付けを彼は提案してくれました。材料は、下の写真にある彼が高校生の時に使っていた教科書から。彼が目をつけたのは、左のページにあるSmall business expansion。私は、言いたいことを整理&あった方がいい情報の肉付けをしました。基本的な方向性は、やはり現地の事情をよく知っているA君にお願いしたかったので。
 
 
 


Aくんは、基本的なIQが高いのと、日本の援助機関で働いていた経験があるので、ものすごく話がスムーズに進みます。私のカウンターパートであるNさんと話している時と同じくらい、快適な速さで会話が進みます。時間にルーズなことを除けば、彼との仕事は楽しいな♫と、るんるんな気分でいたら、人生そんなに甘いものではないのですね、二人の議論は見事に中断されました。

 

うちのオフィスの秘書であるおばちゃんSさんがA君に「お腹すいたから、ファンタとパン買ってきて」とお使いをお願いしたのです・・・はぁ~~~~。22歳の彼は42歳のSさんのお願いを断れる訳もなく、議論がストップ・・・。

人が大事なことを話しているのに、彼女の中ではそんなのは大きな問題じゃない・・・という感覚の違いにイライラしながらも、空白の20分を耐えた私。

 

しかし、それだけでは終わらなかった。お使いから戻ってきたと思いきや、上司の家に玉ねぎを届けなければいけないから、Seiko Seiの自転車を使って行ってきて、と。

ほかの人に頼めばいいのに、しかも「彼はお使いのための若い男の子」としてオフィスに遊びに来たのではなく、政府から管轄されている「成年識字教育の教師」として授業の打ち合わせに来ているのに、彼女はあまり気にならないみたいです。

 

そこで、私の堪忍袋の緒がブチっと切れました。Aくんが2回目のお使いに出たあと、疲れたから帰るわ、と言いながら帰宅準備をするSさんに私は物申したのです。ざっくり言うと、上記の内容を。でも、Sさんは適当な言い訳をヘラヘラしながら言っていました。うんうん、マラウィ人って怒られることに慣れていないようので、こちらがたまに怒ると、このような反応を示してしまうのだと思います。(あくまで、異文化の比較という意図での描写です)

 

そもそも、文化の違いもあるから、こちらの言い分を100%わかってもらうことを期待しているのではなく、私は怒っているんだぞというのが伝われば満足なのですが・・・ははは。

アフリカで記者をしていた知人より「彼らはこちらが怒らなければ分かってくれないから、本気で伝えたいことがあれば、怒りなさい」という2006年に頂いたアドバイスが今でも生きています()

 

Aくんが戻ってくるまでの空白の40分間・・・。彼の出してくれたアイデアをうまくまとめあげる時間ができたから、良かったんだけどね。結果オーライ!まぁいいか!えへへ(*´∀`*)

 

ではでは、本日話し合って決まったことを忘れないように残しておこうと思います。

 

「ビジネス(ここでは所得向上、という意味合い)について」

 

1.なぜ(収入創出活動)ビジネスを行うのか?

2.Group Savingのやり方について

3.Groupを作って集団ですることがなぜ大事なのか

 

 
この三つを説明し次第、Savingに取り組む。
順調に進むようであれば、次の段階へ。どんなビジネスを始めたいのか、メンバーに一人ずつ聞いてみる。
そのビジネスは、今のマーケットでの需要があるのかどうかについて話し合う。(
Market Research Forecast
その後、可能であれば、Financial Plan(日本語で固めに言うと、収支予想みたいな?)に取り組む。

 

 

こんな感じ。これからどう進展していくかわからないけど、計画だけはバッチリ練りました。A君からもOKをもらったあと、businessについて学んだあとは、エイズについて学ぼう、という話になりました。

というのも、前回クラスに行って現在抱える問題を生徒さんたち(中年のおばちゃまたち)と話し合った時に、病人の面倒を見なければいけないから出席率が低い、という問題が明るみに出たのです。そして、Aくんは短大でエイズ予防について学んだ、という理由もあってのこと。

 

A君とこれからうまくやっていければ、成年識字教育クラスでの活動は、充実したものになりそうです。

 

 

・・・どっこい、私の活動はそれだけでは終わらなかったのです。A君との打ち合わせを終えたあと、街の中心部にあるゲストハウスへ自転車ステファニー号で疾走。

新しく、Group Savingをやる集まりができたとのことで、行ってみました。・・・ら、ゲストハウスのオーナーでもあるメンバーの女性一人が残っていました。

「今日は間に合わなかったけど、毎週火曜日、木曜日、金曜日にそれぞれ3つのグループが活動しているから、ぜひおいでね」とのこと!わ~お!一気に三つも活動先が増えるかもしれないってこと・・・???布ナプキン普及率、上がるかもしれないってこと・・・?ちょっと、テンションが上がりました。

 

マラウィでは、このように、予期しないちょっぴりうれしいこともたまにあります。グループ訪問には間に合わなかったけど、とても大きな収穫でした♫

 

というわけで、皆さん良い週末を。
私は、月曜日に片道15キロの心臓破りの上りの道を自転車で漕いで、布ナプキン普及活動に勤しむという任務があります。DAPPとの事前ミーティングもなくなったみたいだし、週末は一歩も外に出ないでひたすら体力を温存しようと思います。要は、引きこもり生活ってことですね!